2004年06月02日
小学校文化祭 2004
隊員Aが上陸してから1年4ヶ月が経過した。
1年前にも、文化祭 (Walk through)
に行ったが、あれから
一年たってどれほど進歩成長したか、見にいくことにした。
校内すでに熱気むんむん(死語)
ここが僕のクラスだよ
クラス内には、生徒の作品などの展示物が所せましと並んでいる
お〜あったあった 隊員Aの絵 なかなかアーティスティックやん
これまたオモろい切り絵や イケてるで
本人の紹介なども写真を添えて飾ってある
これは花の絵
いろいろあるなあ
これは、物語のパート、パートを手分けして
リ レー形式で
ジ オラマで見せるコーナー
クラス内に設置されているパソコン(マック)もかなり自在に使いこなしている
絵を描いたり、文書やみだしを作って自分でプリントすることもできるようになった
これが、本日もっとも驚いた作品「僕の思い出の本」だ
日本からアメリカに来た時の思い出を、写真とエッセイでつづる本
もちろん、すべて自作だ
をい!いつの間にこんな長文を作れるようになったのだ!(手助けナシだとか・・・)
僕が8歳の時、お父さんが言ったんだ「仕事の都合でアメリカに行くことになったんだよ」って。
僕はすごく驚いたんだ。もちろんクラスのみんなもね。
先生に「アメリカってどんな感じ?」って聞いたりしたよ。
お父さんは先にアメリカに行きました。
クラスのみんながサヨナラパーティを開いてくれました。
僕が住んでいた家を誰かに売ってしまった後、僕はおじいちゃん、おばあちゃんの家に住むことになりました。
でも、僕はおじいちゃんの家がとても好きでした。家のすぐ近くに公園がありました。
おじいちゃんの家で確か4ヶ月過ごしました。
それから、お母さんと弟、おばあちゃん、おじいちゃんで空港のホテルに行き一泊しました。
その夜はぐっすり眠ろうとしました。
翌朝、空港に行きました。もうひとりのおばあちゃんも空港に来てくれました。
みんなが「さようなら。英語がしゃべれるようになった姿を見たいよ」って言ってくれました。
飛行機の中では良く眠れなかったので、僕は映画を見ていました。
やっとアメリカに到着したとき、僕はすごく眠かったです。でも新しい家に到着した時はもう眠くなかったです。
近所に日本人の友達が住んでいました。もちろん彼のことは全然知らなかったけど、すごく嬉しかったです。
でも、日本の友達やおじいちゃん、おばあちゃんがいなくて急にさびしくなりました。
アメリカに到着して3日後に、アメリカの小学校に行きました。
僕は英語が全くわかりませんでした。知っていた言葉は、ハローとか数字の1から10、だけでした。
最初は、本当に新しい学校やクラスが怖かったです。
でも、2〜3ヶ月たつと学校が怖くなくなってきました。
その頃には日本の学校に通っているのと同じような感じになってきました。
おしまい
立派な作文やないの!びっくらいこいた
この後、先生に挨拶し、ESL(英語補習クラス)の先生と懇談した。
ESLの先生の話によると、お世辞も相当入っていると思われるが、最近の英語能力の進歩は目覚しく
クラスの授業などのかなりの部分はちゃんと理解している、とのことだった。
いまだ、クラスでは一言もしゃべれないでいるが、これは恥ずかしいとか、間違いなどを恐れる精神的な
バリアだけであり、あと一歩のところまで来ているらしい。
夏のサマースクールで英語の特訓を今年もやる必要があるかと聞くと、来てもいいけど、来なくても大丈夫。
それより、他の運動のサマースクールなどにどっぷり漬かって、しゃべる勇気を培ったほうがいい、とのこと
だった。えー本当に特訓しなくて良いのか??
しかし、確かに最近の隊員Aの英語の進歩は目覚しい。気心の知れた近所の友達となら、結構会話できるし
上記のように自力で作文も書けるようになった。クラスのほかの子が読む英語の本も借りてきて自分で読んで
いる。気がつくと、単語やイディオムで隊長の知らないことを結構知っていたりする・・・・
ホンマにエラい進歩や
もう一つ、しゃべる壁を越えるとドカ〜ンと行くかも??
結論: 今年中には抜かれます(^^;
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