【名  前】D.M.
 【タイトル】戦前と戦後
   10/27 12:11
                                                    freiheit@speed.co.jp

 【メッセージ】
 ひとつ、質問させていただきます。
 ふだん、「戦後」「戦前」という言葉をなにげなく
 使っていますが、
 これが太平洋戦争の終戦を区切りとしていることは
 自明です。
 でも、戦後とはいったいいつまで(現在も、まだ戦後なのか)、
 戦前とは、いつからを指すものなのでしょうか。


 【【名  前】金 満腹
 【タイトル】re:(1)戦前と戦後
   10/28 16:52
                                                    max@pbx.vip.co.jp
 

 【メッセージ】
 D.M.さん 毎度ご利用有り難うございます。 金 満腹です。

 さて、さっそくでありますが、もし貴方が辞書を調べると

 [戦後]
 戦争のあと。特に第二次世界大戦の後。postwar
 [戦前]
 戦争の前。開戦以前。特に第二次世界大戦以前。

 とあるのを見つけるでしょう。
 今この瞬間も戦後であり、江戸時代は戦前ということになりますが
 決して間違ってはいません。

 が、ご質問の意図はそういうことではないのは自明であり、
 意図するところは、
 何故「戦前」「戦後」という言葉が日常の中で一般語として使われるのか?
 それは何を指しているのか?

 であると仮定して話をすすめたいと思います。

  戦後の日本においては、最高の成長率を記録し、、、
  戦前はそんなこと無かったんだけどねえ、、、
    等々

 第二次世界大戦を区切りとしているのは良いとして、
 問題は何故第二次世界大戦を区切りとしているか?ということですね。

 一番大きいところは、戦後日本において、憲法を基底とする諸法令の大改革
 が行われ、国としての構造が大きく変化したということでしょう。
 変化した理由やプロセスについては、今でも賛否両論ありまた主義主張を伴
 うものなので、ここでは触れません。

 さて、簡単におさらいしますと、1945年8月14日のポツダム宣言の受諾後、
 改革が次々と着手されました。
 はじめに、1945年10月の五大改革の指令(婦人の解放と参政権,労働組合の結成
 奨励、学校教育の自由主義化,専制政治の廃止,独占禁止と経済機構の民主化)
 が行われ,47年5月3日施行の日本国憲法が集大成されました。戦後改革は,立法,
 司法,行政の諸制度の改革をはじめ,財閥解体,農地改革,労働改革,教育改革,
 家族制度改革など,国家と社会の全面にわたる巨大なものであり、簡単に言うと
 国のシステムが全く一新し、新しい日本において一から再スタートを切ったと
 いうことです。

 憲法に男女平等が規定され,女性参政権が実現し,古い家族制度が廃止され,男女
 同一賃金が法によって認められ,男女共学が実現し,大学の門は開かれたのもこの
 戦後の様々な改革があったからであります。

 もうおわかりかと思いますが、戦前、戦後というキーワードは
 「新しいシステムに変わってからの日本か否か」を、一言で表しているということです。
 いちいち、「五大改革が行われ日本国憲法が制定されてから、はじめて××しまし
 た」というより「戦後としてははじめて、、」といったほうが簡単で便利ですよね。

 尚、「戦前」はいつからか?に関しては明確な規定はないのですが、戦争までの国の
 システムであった期間を指し、多くは明治維新以降かもしくは第一次世界大戦後を指
 す事が多いようです。あまり厳密に規定しても意味がないことはおわかりかと思います。
 

 しかし、、、前提となる条件が国民全体に浸透していないとなると、この表現も既に古
 くなってしまったのかもしれません。(現にこういうご質問が出ている事自体そう
 といえるでしょう)

 いつか、戦前、戦後という言葉が風化して誰も使わなくなる時がくると思います
 それは、今のシステムが非常に長く続き、もはや前システムと比較する意味がなく
 なったときか、もしくは全く新しいシステムに生まれかわったときでしょう。

 そんな時まで自分が生きているのか、今は想像もできません。

 (D.M.) 真摯なご回答を、ありがとうございます。また、ご質問させていただきたいと思っています。 98/10/29
 12:30:37

 
 【名  前】D.M.
 【タイトル】恐れ入りますが、ちょっと長くなります。
   10/29 12:48
                                                    freiheit@speed.co.jp
 

 【メッセージ】
 ありがとう、ございます。
 私は、我々日本人が抵抗なく使っている「戦前」という
 言葉が、いったいいつのころからの日本を指している
 概念なのか、考えあぐねているのです。
 我々は、高校の日本史で、明治維新以降の日本の歴史を、
 「近代国家の成立」(維新から大日本帝国憲法制定まで)
 「大日本帝国憲法の成立とアジア」(日露戦争まで)
 「資本主義の確立と市民社会」(韓国併合から大正デモクラシーまで)
 「軍国日本と思想・文化統制」(昭和から敗戦まで)
 「日本国憲法と現代の社会」(戦後から高度成長へ)
 という5つの時期に分節された形で学んできました。
 でも、実感として、この文脈では、
 明治維新以降、現在まで130年のひとつの大きな流れとして
 ひとつながりの歴史経験として捉えることができないのです。
 長くなって恐縮ですが、明治の開国以降、
 いったい日本人は、なにを信じてきたのでしょうか。
 
 

  【名  前】万馬 券太郎
  【タイトル】re:(1)恐れ入りますが、ちょっと長くなります。
   10/30 13:51
                                                    bet@pbx.vip.co.jp
 

 【メッセージ】
 D.M.さん、こんにちは。
 最初は日本史のご質問と思い、金先生に回答をお願いしたのですが、
 どうやら真意は別のところにあるようですので、私から回答します。

 さて、D.M.さんご自身の見解と、当相談室に対する質問が渾然としている
 部分があるように思います。まずご質問の内容を整理しておきます。
 「明治維新から現代に至る歴史を教科書的に分類すると、流れ(つながり)が
 感じられない。そのために戦前がどの時期を示すのかが判然としない。
 明治の開国から現代まで、日本人は何を信じてきたのか」
 これでよろしいでしょうか?

 1.過去はある時点で切り取った断片
 1999年の7の月、恐怖の大王が下りてきて、火星が地球を統治したとします。
 地球規模の戦争が起こり、大部分の人間は死に絶えました。
 何とか生き延びた僅かな数の人たちが、新しい秩序で生活を始めました。
 さて、この場合はどこからが戦前でしょう?

 もう少し現実味のある例にしましょうか。
 2000年の秋、某近隣国が日本にミサイルを打ち込んだとします。
 米国を主体とした国連軍が、日本の後方支援を受けて某近隣国に侵攻しました。
 隣国はもちろん、日本も少なくない被害を受けました。
 さて、このとき、日本人は何を信じているのでしょう?

 歴史とは言うまでもなく過去のことです。
 そして過去というのは、ある時点で切り取った断片でしかありません。
 今日の過去は、明日の過去とは違います。従って、歴史を評価・認識するには、
 「現時点で見た場合の」という条件が必ず付くことになります。

 今が戦後か戦前かは、次の戦争が終わらない限り判断できないでしょうね。
 あるいは金先生のご指摘の通り、社会的システムの大変化後かもしれません。
 少なくとも今はまだ、補償問題などの現実的課題が残っているので、
 政府の指導によって作成される教科書が(あるいは指導要綱に基づいて編成
 される授業の内容が)ある恣意的な意図に誘導されるのは仕方ないだろうと
 思います。

 明治維新以降の歴史を5つの固まりにグループ化することは適切なのか?
 その結論を出すには前提条件があまりに多くなりすぎますね。

 万人が違和感なく歴史を認識できるようになるのは、その時代に生きていた人
 の生臭さがほぼ完全に失われてからでしょう。
 今時点で言えば、せいぜい江戸時代までではないでしょうか。

 2.パイナップル入り酢豚の是非
 D.M.さんのご質問の中で、ちょっと気になるのは、「日本人」という言葉が
 全てを統括しうる用語として使われていることです。
 この場合の日本人には、小錦やラモス瑠偉は含まれるのですか?
 第二次大戦中に米国にいて日本軍と戦った日本人は含まれますか?
 戦争中に日本に住んでいた韓国人はどうですか?

 私は日本人ですし、D.M.さんも(おそらく)日本人でしょう。
 私は酢豚にパイナップルが入っているのは嫌いです。D.M.さんはお好きですか?
 日本人は皆、パイナップル入り酢豚が嫌いなのでしょうか?
 「そんなの人によって違うに決まってるじゃん」が正解ですよね。

 神の国ニッポンを信じていた人もいるでしょう。
 なぜ負けると分かっている戦争をやるのだ?と思っていた人もいるでしょう。
 何にも気にせず畑仕事をしていた人もいるでしょう。
 肉親を信じていた人も、神仏を信じていた人も、お狐さまを信じていた人も
 いるのでしょう。

 日本人は何を信じてきたのか?
 それは酢豚におけるパイナップルの是非より、何倍もまとまらないですね。

 D.M.さんの目的が、因果関係の即物的回答を求めることや、自分以外の人たちを
 簡単なキーワードで括ろうとしていることではないことを祈りたいと思います。
 歴史は常に一定のルールによって規定されているように感じるかもしれませんが
 実際にはひとりひとりの異なる思いの集合体であることは言うまでもありません。

 D.M.さんは現在、迷ったり悩んだり喜んだりしていることがありますよね?
 もちろん私にもあります。それなりに色々考えて生きています。
 100年後の人たちに「あの頃の日本人は・・・」と一括りで言われるとしたら、
 私はぞっとしませんが。

 関係ないことですが、D.M.さんのご質問は初めてのような気がしませんね。
 通底する観念に最近見覚えがあるからかもしれません。
 ところで、自由の名を持つD.M.さんは、ドイツ・マルクの略ですか?
 まさか万馬 伝太郎とかじゃないですよね?

 万馬 券太郎/KMISI
 


戻ったれ